アクエリアスの猫 連載小説



宇宙船レインボーブルー



1.レインボーブルー号

「姫!」
 エコウルは声を上げた。
「なによ?」
 姫と呼ばれた少女は冷めた調子で言った。
「このままだと、エンジンが焼き切れるとか、宇宙の藻クズになるとか、そんな話は聞きたくないから」
「いえ、そんな!」
 エコウルの髭が揺れた。灰色のクマのぬいぐるみのような外見のこの種族は動揺すると髭がうごめく。図星を指され、とっさに否定してしまったが、エコウルは気が気ではなかった。
「姫に、もしものことがあっては……。わたしの立場がありません。あなたはフィロソリス星の王女フィナ様なのです」
「なに、わかりきったこと言ってるの。これだからエコー星人は困るのよ」
 フィナは冷めた調子をくずさなかった。
 宇宙船レインボーブルーのコックピットは、危険を知らせる計器盤が明滅し、けたたましい警告音が鳴り響いていた。
「どうなさるおつもりで?」
 エコウルは泣きそうだった。つまり半分泣いていた。
「もうすぐ目的地よ」
 フィナは前方をしっかりと見据えながら答えた。最高速度を超えて飛び続ける船体が悲鳴を上げている。そんな内部の状況に反して、目の前に広がる宇宙は平和そのもの。フィナの目が遠く輝く星々を映している。
「戦争が始まったのよ。いいチャンスだと思わない? わたしみたいな第六王女は、自分の星にいてもいいことないの。あんたも知ってるでしょ」
「ですが、戦争のどさくさに紛れてトンズラなんて……。フィロソリス星を見捨てるおつもりですか?」
「ト、トンズラって! あんた従者のくせになに言ってんの? たしかに誰にも何も言わなかったけど、メッセージくらいは残してきたわ。それにフィロソリスが銀河大戦に参戦するかどうか、まだわからない。先の話よ……」
「では、この船を、先ほどからずっと追っているあの船隊はなんでしょう? まさか、あれが海賊船ではないなんてトンチンカンなことをおっしゃるわけではないでしょーね? 今、宇宙はあちこちで治安が乱れ始めているのではありませんか!」
「ちょっと、あんた、なに調子づいてんの!」
――隣の席に、視線を投げるフィナ。
 体長一メートル、ぬいぐるみを思わせる生き物が身体を震せている。減らず口をたたいているのは怖さを紛らすためらしい。
「……エコウル」
「姫!」
 エコウルはフィナの胸に飛びこんだ。
「そんなに怖がらなくてもいいのに……」
「姫!」
 従者の頬をつたう涙に、フィナの手が触れる。
「さあ席に戻って」
「姫!」
 フィナはエコウルを隣の席に座らせた。優しい手つきだった。古くからフィロソリス家に仕えてきた家系――その忠誠心は誰にも負けないエコウルは動転して同じ言葉を繰り返している。
 まだ未熟……。
 連れてきたのは間違いだった?
 ふと浮かぶ疑問符。だが、今はそのことについて考えるときではない。フィナは宇宙船の速度をさらに上げた。





 惑星ヒロンBの農業地帯に、虹色の光が走った。上空を切り裂くその光跡は七色に輝いて、本当の虹のよりずっと鮮明で力強かった。
 タナオは、耕作ロボットの操作に手こずりながらも、空を見た。
「虹じゃないよな?」
「……」
当然のことながらロボットは答えない。
「おーい! タナオ」
 後ろから声がした。反重力ラフトが迫ってくる。乗っているのはギミドだった。
「見ろよ、あれ!」
 ギミドの小さな目が落ち着きなく、タナオと空の間を行ったり来たりする。
 すぐ横に止まったラフトを見上げながら、タナオは気のない返事をした。
「見てたよ」
「あれは宇宙船らしいぞ!」
「ほぅ〜」
「墜落するかもしれん。そんな話だ」
「そっかぁ〜」
「オレたちの家が危ないらしい」
「ほんとか? なぜ、そんなことがわかる?」
「さっき、ずっと見てたんだ。そしたら誰かが言ってた。この辺りに落ちるんじゃないかって……。それで、なんとなく嫌な予感がして、マーケットからすっ飛んで帰ってきたんだ」
「うそくさいなぁ。でも、あの居住区には、君とぼくしか住んでいないから、被害は少なくてすみそうだね」
「おいおい、そんなことより、早く乗れよ」
「あ、でもこれ置いていくとマズいかも」
 タナオは耕作ロボットに目を向けた。
「まだ調整中なんだ。放っておいたら、突然、なにするか……」
「こんなへんぴな農場の真ん中に誰がくる? 盗まれやしない」
「そういう問題じゃなくて……」
「さっさと乗れよ!」





「姫!」
「はいはい。どうしたの?」
 フィナは座席に深々と身を沈めていた。これほどまでに興奮し、緊張したことはなかった。訓練は何度も受けていたが、実戦経験は一度もなかったのだ。
 だから今こうして放心状態すれすれで休んでいるのに、エコウルがしつこく呼びかけてくる。
「姫!」
「だから、なに?」
「あのチョット聞きたいんですが……」
 どことなく暗いエコウルの雰囲気に軽くたじろくフィナ。「……あ、うん」返事も中途半端に、だるい。
「ずいぶん、うまくやりましたね」
「へっ?」
「最初から分かってたんでしょ? 自信があったんですね。だから、ぼくひとりがオロオロしちゃって、もう死ぬかと思いましたよ。でも、ぜんぜん心配する必要なかったんです。バリバリうまくいっちゃって…… ああ、なんか嫌な気分です」
「はぁ?」
 開いた口がふさがらないとはこのことだった。
 迫り来る海賊を、死ぬ思いで振り切って――
 無理な操縦に悲鳴を上げる船体を、やっとの思いでなだめすかし――
 ちょうどいいタイミングで、透明装置をうまく働かせ――
 無事に着陸したばかりで、こんなセリフを聞こうとは。
「エコウルちゃん!」
 なぜか、ちゃん付けになった。
「それ、ヒドいよ! あのさ、わたしだって、すごく怖かったよ。あんた、なんもわかってない! あんたなんか途中から、姫! 姫! 姫! って、それしか言えないくらいブッ壊れてたじゃん!」
「そうかもしれませんけど、ぼくは、ぼくは、姫が死んだらどうしようって、ほんとうに、ほんとうに、心配していたんです!」
「だから、なに? じゃ、わたしが本当に死ねばよかった? ふざけないで!」
 エコウルの目がうるんでいる。
 フィナは、頭をかかえた。疲労でいつもの自分が損なわれている。ちょっと休んだほうがいいんだわ。自分に言いきかせた。
 と、突然、ハッチを叩く音が船内に響き渡った。
 顔を見合わせる二人。あり得ないことだった。船は透明シールドに包まれている。科学レベル7以上の星でなければ、発見されるわけがないのだ。
「どういうこと?」フィナが問いかける。
 エコウルが、涙をぬぐうのも忘れて、計器盤をのぞき込む。
「シールドのパワーにムラが発生しています。おそらく、ある方向からの接触には……」
 口ごもる従者。じっと黙っている王女。沈黙がのしかかる。
「……ある方向からの接触には」エコウルは続けた。「透明ではあっても…… その……」
「見えてるの?」とフィナ。
「いえ、見えませんが、存在していることがわかってしまいます。つまり、無防備な状態をさらけ出していることになり、姿が見えないぶんだけ接触者を刺激するかも……」
 突然、光が射し込んできた。コックピット横のドアが開いている。
 フィナとエコウルが瞬時に振り向いた先には、まばゆい光を背景に二つの人影があった。
「あ、あれ?」
 すっとんきょうな声の主は、影になっていて、はっきりとはわからないが、あんぐりと口を開けているようだ。
 その後ろからもう一つの声がした。
「部屋まちがえたか?」
「す、すみません。部屋間違えたみたいで」
 二つの人影は動揺しているようだった。武器に手をかけるフィナを尻目に、ドアから消えた。
 ドア横のスイッチに急ぐエコウル――
 と、またしても、度はずれに間の抜けた声がした。
「ドアが閉まらないぞ! ってか、ここ、やっぱり、オレの家なんだけど!」
 エコウルの泣きそうな顔がフィナを見る。いくらスイッチを叩いてもスライド式のドアは閉まらない。
「あの〜」
 ドアからそっと中をのぞき込む二つの影。
 船内に入られてはマズいことになる。フィナが行動をおこそうとしたとき、エコウルが飛び出した。もんどりうってドアの外へ、二つの人影の真ん前に、おどり出た。
「うがーーーーーーーっ!」
 威嚇のつもりである。彼なりの判断がそうさせたのだろう。
 エコウルに先んじられて、フィナは一瞬、立ち止まった。ぬいぐるみの脅しが効くとは思えない。下手に相手を刺激しては、ややこしいことになる。相手は人間のようだが、どんな人物かわからない。ひょっとして、エコウルは即座に射殺される可能性だってある。
 どうすれば? という考えの前にフィナは動いた。こういうときは前に出る。それしかないのが彼女だった。



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