アクエリアスの猫 | 連載小説 |
宇宙船レインボーブルー
2.がらんどうの居住区 タナオとギミドは混乱していた。どちらの頭がより乱れていたかといえば、それはタナオのほうだっだ。なにしろ自分の家のドアが開かない。認証コードをクリアしているにも関わらずだ。 五千人の居住区でありながら、住んでいるのは二人だけという超過疎地域、二十階建て集合住宅の一階――ものぐさなタナオの性格をあらわしてか、建物入り口のすぐ横。 故障しているのか? 軽くドアを叩く。 待ちきれない様子のギミドが、タナオを脇腹をつついた。 「家賃払ってんのか?」 「あたり前だ。あの耕作ロボット用の基本フォーマットをちょっと見たいのに……」 「そんなことよりドアが開かないことを考えたらどうだ?」 「そうだけど」 「おんぼろ住宅だ。手で開くんじゃないか?」 タナオはうなずくと、スライド式のドアに手をかけた。 ――開かない。 ――力をいれる。 ――さらに、力を込める。 タナオの手が震える。ギミドも手をかそうとするが、手がかりがなく、あきらめて後ろに一歩下がって見守った。 突然、はじかれたようにドアが動く。 いつもの自分の部屋のはずが……。 そこは、いくつもの小さな明かりが点滅している小部屋で、中央に女性が一人、慌てたようすで、こちらを見つめている。すぐ横から転がり落ちたように見えたのは、灰色のぬいぐるみだろうか。 どきまぎする二人。だが、ここは、やはり、どう見ても自分の家――。 「うがーーーーーーーっ!」 ドアから飛び出してきたのは、灰色のぬいぐるみ。立っている。動いている。吠えている。 「ぬおっ!」 「な、なんだ!」 タナオもギミドも、同時に後ろに飛びのいた。通路の壁に、背中を打ちつける二人は、ハモって声を上げた。 「いてっ!」 顔を見合わせて、すぐまた、前の物体に目を戻す。 「うがーーーっ!」 またしても、飛びのく二人。こんどは背中を壁にぶつけない程度にやってのけた。 こんなものは見たことがない。二人は、建物の入り口付近に向かって、じりじりと後退する。 「どうなっている?」 「わからない。あれはなんだ?」 「知らないけど、どうする?」 「おまえの家じゃないのか?」 「ぼくの家だったら、わかるのか?」 「おまえが、わかるか、わからないか、どうして、オレがわかる?」 「と、とにかく、ギミド、きみの家に行こう」 「……、……」 「そこで考えよう」 「なにを考えるんだ? それに、なぜオレたちが退いているんだ? おまえの家なのに!」 「そんなこと言われても……」 「オレの家のドアを開けて、もっとスゴいの出てきたらどうする!」 「まさか」 二人はなんとか三メートルの距離を確保した。振り向いて全力疾走するチャンスかもしれない。 「エコウル!」 女の声がした。吠えたてる小動物の後ろに現れたのは、白いボディスーツに身を包んだ銀色の髪の少女だった。長い髪が空気に溶け込んでしまいそうで、それでいて、とても輝いていた。 「……話が通じそうじゃないか?」 ギミドは顔を赤らめた。 「ああ……」 返事をするタナオもどことなく、ぼーっとしていた。 過疎惑星に住む若者は、三メートルという距離で、こんな美形の異性を見たことがなかったのだ。 不安げな眼差しで二人を見つめる少女――。 魅惑の瞬間は突然やってきた。タナオとギミドは、今、そのただ中にある。 がらんどうの居住区。その通路を風が吹き抜けていった。 「なるほどねー」 ギミドがしたり顔でうなずいた。 フィナのひざの上にエコウルがいた。 タナオも熱心にフィナの話に耳を傾けているようでいて、ただ彼女を見つめていた。 ギミドの部屋は小ぎれいに整理されている。二十階建て集合住宅の最上階は、眺めのいい部屋へのこだわりだった。 リビング‐ルームに集まる四人――フィナの事情説明が終わる。 沈黙。誰もが黙っていた。 やがて、ギミドが口をひらく。 「……で、おまえ、どう思う? タナオ」 「はぁ?」 タナオは我に返った。 「おまえ、聞いてたよな?」 ギミドの声が、なんとなく非難がましく聞こえた。フィナからギミドに視線を移す。二つ年上の若者は、快活そうな小さな目でタナオに問いかけていた。 「聞いていたよ、もちろん! つまり、フィナさんは、本来の目的地に着くはずが、海賊に追われて、間違って、こんな遠い星域のこんなへんぴな星に迷い込んでしまったんだ……」 タナオは一息ついた。そして続けた。 「大事なのは、まず、船を修理することだ」 ぎこちなく、うなずいてみせるフィナとエコウル。 「でも、オレたちしかいない、こんな場所でよかったよ」ギミドが二人を元気づけるように言った。「中央都市のどこかにドアが繋がっていたら、きっと大騒ぎになっていたからね」 「透明シールドがこんな現象を起こすなんて、思いもよらなかったの。修理は船の有機コンピュータに任せれば問題ないと思うけど……。なにぶん、ブルーはへそ曲がりなの」 「修理に必要なものを揃えるには、やっぱりお金が必要ですね」 「そうだなぁ。フィナさんがいくら王女でも、この星域じやフィロソリスって言っても誰もわからんだろうし……」 「やっぱり、ブルーと話し合わないといけないわ」 「でも、寝てる?」 「ふてくされているの。気に入らないことがあると、しばらく口をきいてくれなくなって…… 困った船だわ」 タナオとギミドは、それ自体が知性を持ち、考えることができる船など聞いたことがなかった。なにぶん、はるかに遠い星域のこと。フィロソリスという星の存在さえ夢のようだ。 「では、そのブルーさんと話し合って、それから、もう一度、考えてみるってことになるのかな」ギミドは言った。「タナオはしばらくオレの部屋で暮らせばいいさ」 フィナはレインボーブルーのセントラル・ルームに入った。 エコウルはコックピットにおいてきた。彼がいると話がこじれるというか、ブルーがいちいち腹を立てるような方向に話しが進みやすいのだ。 やわらかい光が照らしだす室内は特になにかがあるわけではない。なにもない部屋――。 「ねぇ、ブルー?」フィナは言った。「聞いてる? わたしたち、とんでもないところに来てしまった。別の星域よ。フィロソリスなんて誰も知らないみたい。ねぇ、ブルー、聞こえているなら答えて、どうしたらいいの?」 フィナは大きく息をついた。返事を待つように部屋中を見渡した。 「だから、やめとけ、と言ったのだ」 部屋全体から聞こえてくる声。それは中性的な響きを帯びている。 フィナは小さく飛び跳ねた。銀色の髪が揺れる。 「ああ、やっと応えてくれたわね!」 「そうだ。わたしは宇宙船レインボーブルー号の有機コンピューターである。通称はブルー。わたしを知るものは皆そう呼んでいる。もっとも、陰では、そう呼ばれないこともあるようだが、それはどうでもいい。そして、あなただ。あなたはフィナ・フィロソリス。フィロソリスの第四王女だが、極端な理想主義者であることは周知の事実で、今までにも幾多の問題を引き起こしてきた。そして、今回は王族の特権を悪用し、この船を危険にさらした張本人である」 「聞いて! それは、しかたないことだったの、チャンスをつかむために。手動に切り替えるしかなかった。フィロソリスを出るためよ」 「それが気に入らないのだ。この船からわたしの制御を切り放すなどという勝手な行動をされては困るのだ。さらに危険宙域で、不用意に速度を上げすぎた。あれには、わたしもキレた」 「ごめんね、ブルー。でも……」 「言い訳はしなくていい。ただ、これだけは忘れるな。船が破壊されても、わたしは破壊されない。超硬質物質で保護されているから、船が宇宙の藻クズになっても、わたしだけは生き残るのだ。あなたたちが爆死しても、わたしは助かる。それは、いつでも、あなたたちを見捨てる準備ができているということでもある」 「知ってるわよ。何回も聞いている。それより、話を聞いて」 「しばらく眠っていたので、気分がいい。あなたの話に耳を傾ける余裕があるということだ」 「ここがどこかはわかる?」 「ケスリスU星域だ。フィロソリスとは次元一つ分くらいの隔たりがあると言ってもいい。ヒロンBという開発途上惑星にいる。だが、わたしのデータはかなり限られている。ケスリスU星域についての詳しい情報は当然ながら持っていない」 「詳しいことはいいの。あなたがある程度わかっていれば……。で、なぜ、こんなところに、わたしたちはいるのかしら?」 「なぜ、そんな質問を? フィナ王女? あなたが、勝手に、なんの計算もなしに手動で航行したため、ハイパードライブ状態に突入してしまったのだ。海賊から逃げるために無我夢中だったのだろうと推測される。が、わたしは寝ていたから、わからない。なにかおかしなことをやらかしたのだろう。フィロソリスを出るとき、わたしは航行準備が出来ていなかった。あなたは、わたしから船の制御を奪ったのだ」 「だからと言って、ふて寝し続けることはなかったはず……」 「わたしが気づいたとき、すでに船は危険状態だった。わたしは、そのとき一度あなたを見捨てたのだ」 「そう……。そうして自分だけ助かるつもりだったのね」 「そうだ」 「でも、いいわ。わたしたち、ここからフィロソリスに帰れる?」 「もちろんだ。わたしに航行を任せれば問題はない」 「それを聞いて安心したわ」 「――――」 「もうひとつ問題があるの。透明シールドが壊れて……」 「それはよく知っている。半分起きていた。つまり片目を開けていたのだ。おかしな連中と接触するはめになった経緯も、わかっている」 「修復できる?」 「できる。修復するための物質が必要だ」 「この星で手に入るかしら?」 「入る。しかし、高価だ。一般人が手に入れるは難しい」 「それが問題なの。透明シールドが壊れたまま飛べる?」 「飛べる。だが、おそらく、姿を消すことはできないだろう」 「なにか、いい案はないかしら?」 「いくつかのプランは立てられる。が、王女、それは、あなたに任せよう。自分で考えることだ」 「そんな……」 「そうすることだ。ときに、わたしの発言は理不尽に聞こえるかもしれないが、深い意味があるのだ」 フィナは腕組みをした格好で、うつむいた。 「考えてみるわ」 セントラル・ルームの明かりが少しずつ暗くなっていく。どうやらブルーはまた眠ってしまうつもりらしい。 フィナはゆっくりと出口に向かい、ドアを開けた。通路の明かりが、少し目に痛かった。 |
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